《クローズアップインタビューvol.1》 イラストレーター:勝倉大和さん

こんにちは!あだちる運営スタッフです。今回は足立区に縁のある方を特集する《クローズアップインタビュー》をお届けします。

vol.1では足立区出身で現在も区内を拠点に活動されているイラストレーター 勝倉大和(かつくらひろと)さんにお話を伺ってきました! 取材時はご自身4回目となる個展を開催されており、その際の様子もあわせてご紹介します。

学生時代の思い出やイラストレーターになった経緯など、興味深いエピソードをぜひお楽しみください!
好きなことを自分のペースでとことん楽しんだ少年時代
ーよろしくお願いいたします!
早速ですがご出身が足立区ということで、具体的に出身学校をお聞きしても大丈夫でしょうか。

勝倉さん:大丈夫です!もともとは西保木間に住んでいて、西保木間小学校に通っていました。小学5年生の時に東伊興に引っ越したんですが、転校はしなかったです。中学校は学区域だった十四中学校に行きました。

ー西保木間小学校から十四中学校に進む人は珍しい気がします。
勝倉さん:そうなんですよ。みんな竹の塚中学校に行っちゃったので、西保木間小学校から一緒に進学したのは7人だけでした。しかも十四中学校って当時は一学年に300人くらいいたじゃないですか。だから最初はものすごく不安でしたね。

▲西竹の塚に位置する区立第十四中学校。23区内でも有数のマンモス校であり、部活動が盛んなことでも有名。(撮影:2025年5月)

ー知らない人だらけの新しい環境はたしかに心細いですね。高校も足立区内の学校に進学されたのでしょうか。
勝倉さん:高校は都立足立西高校に進学しました。

ーなるほど。ずっと足立区で育ってきたということですが、どんな学生時代を過ごされたのでしょうか。
勝倉さん:子供時代は絵を描くことは好きではあったんですが、特別入れ込んでいるというわけではなかったです。習ったりとかは全くしておらず、落書き程度のものをいっぱい描いていた記憶があります。

ー落書きというと、いわゆる教科書やノートなどにいろいろ書き込んでいたというイメージでしょうか。
勝倉さん:はい、そういう落書きばっかりでしたね。小学校の国語の教科書に『一本の鉛筆の向こうに』というお話が掲載されていて、スリランカの炭鉱で黒鉛を採取して働いているポディマハッタヤさんという方についての紹介があったんです。それがなんだかとても気になって、いろいろ調べていたらボディマハッタヤさんの子供時代の写真が見つかったので、その写真にすっごい落書きしていた記憶があります。…ボディマハッタヤさんすみません!!

ーいったいどんな落書きだったのか気になります(笑)それでは現在のようにキャンバスに描くというよりは遊びの延長でずっと絵を書いてたということでしょうか。
勝倉さん:そうですね。当時はキャンバスの存在すらも知らなかったです。部活もずっと水泳部でしたし。

ー絵を描くことよりもスポーツをしていた時間が多かったのでしょうか。
勝倉さん:はい、むしろスポーツばっかりやっていましたね。でも水泳部に入ったものの、僕は周りの部員と比べると泳げないので練習はかなりきつかったです…。

ー競技として上を目指すというよりは水泳が好きで所属していたということでしょうか。
勝倉さん:そうですね。できればずっと水に浮いていたいんです。浮いたり、潜って水面を見ていたい…。水中から見る景色ってすごい綺麗なんですよ、やったことあります?

▲終始楽しそうにインタビューに応じてくださった勝倉さん。

ー私も泳げないのでやったことはないですね…。泳げたとしてもその発想にはならなかったと思います。
勝倉さん:是非教えたい!!泳げなくても潜れればできるので大丈夫ですよ。
プールの底に潜って口の中から泡を吐き出すんです。で、そのまま水面を見るとその水泡がすごい光っていて、めちゃくちゃ綺麗なんです。僕的には世の中の綺麗ランキング1位だと思っています。しかも僕、空気で輪っかが作れるんですよ!

ー輪っかというとイルカがよくやっているような?
勝倉さん:そうです、意外と簡単なんですよ。水のフィールドであれば誰と戦っても勝てる!って気がするくらい水の中には慣れています。

ー水の中では“最強”だと…!しかし一般的な水泳部っぽさというよりは独自路線を進んでいるような気もします。
勝倉さん:実は中学で部活を始める前、小学校1年生頃からスイミングスクールで水泳を習っていたんです。そのスイミングスクールが速さを競うっていうよりも、水を使って、プールの中で楽しもう!みたいな団体で、そこでの時間がすごく楽しかった。その影響が大きいのかなと思います。

ー自由にものごとを楽しむという意識が小さい頃からあったんですね。ちなみにここまであまりイラストの話がでてきていませんが…。
勝倉さん:出てきませんね(笑)でも遡ってみると中学校の卒業文集の表紙を担当したっていうのが、人生で最初の“依頼”としてのイラスト制作だったかもしれません。

ー卒業文集の表紙とは大役ですね。自分からやりたいと言った訳ではなく“依頼”だったのですか?
勝倉さん:そうですね。いきなり美術の先生から呼び出されて描いて欲しいって言われたんです。 僕は『浦安鉄筋家族』っていう漫画が大好きでよく模写していたんですね。なかでも当時の校長先生にそっくりだったキャラクターをよく描いていたので、それが先生の目に入ったのか、文化祭で大きな先生の似顔絵を描いて欲しい、みたいなお願いをされたことがあったんですよ。おそらくその件があったから、卒業文集の表紙に抜擢してくださったのかなと。

ーずっと落書きを描いて遊んでいたら、先生から依頼されるまでになったんですね。
勝倉さん:そんな感じです。言葉にするとかっこいいですね(笑)

自分にできることを見つめて歩いてきた道
ー学生の間はずっと「落書き」のような形で絵を描き続けていたということですが、本格的にイラストをやってみようと思ったきっかけみたいなものはあるんでしょうか。
勝倉さん:どうだろう…。それこそ高校を卒業して美術の専門学校に進んだ時も“イラストレーション”という言葉を知らなかったし、なんなら東京藝術大学というものが存在することさえ知りませんでした。学生時代はそれこそ本当に学校生活の延長というか、落書きや授業での制作しかしていなかったので、しっかり「作品にする」というのは割と最近意識しはじめました。

ー美術の専門学校に進む際も「ただ絵が描きたいから」という想いで進学を決めたのでしょうか。
勝倉さん:僕は頭が良くなくて大学に行けなかったんです。進路について先生に相談したら「勝倉くんが受けられる所はどこもないよ」って言われた程です。でも「美術の専門学校だったらチャンスあるかもよ。」と言ってもらえたので、水泳の道に行くか、美術の道に行くかで悩んだうえで、紹介してもらった美術の専門学校に行くことに決めました。

ーなるほど。「イラストで食べていくぞ!」という意識があったというよりは、行ける道を模索したら美術の専門学校にたどり着いたということでしょうか。
勝倉さん:そうですね。「自分の得意なところはどこだろう」と考えたらそこしかなかったという感じです。

ー少し予想外でした。ただ美術の先生が勧めてくれことや卒業文集のエピソードなども踏まえると、周りはその才能を見出していたようにも感じますね。
勝倉さん:本当にありがたいことです。そういった助言がなければおそらく今のような活動は全くしていなかったと思います。水泳の道に行っていた可能性も十分ありますしね。

ーそれでは続いて、今の作品スタイルについてお話しをお聞きできたらと思います。今回の個展で展示されているような、“文字を絵にする”という作品はいつ頃から描き始めたのでしょうか。
勝倉さん:本格的に作品にし始めたのは、おそらく5年ほど前だと思います。文字をアクリル絵の具で立体的に描くっていうのは専門学生時代に一度挑戦していたので発想は当時からありました。ただ、当時はしっくりこなくて続かなかったんです。

▲取材時に開催していた個展でのライブペイントの様子。落語の『寿限無』を立体文字と多彩な世界観のイラストで表現する。

ー学生時代の時は“立体”にこだわらず色々なものを描いてたということでしょうか。
勝倉さん:そうですね。むしろ専門学生時代は立体物が書けなかったです。遠近法などがあまり理解できていなくて…。「それどこで使うの?」っていう絵ばかり描いていました。あとは物を描くのではなく感覚的な抽象画みたいなものをずっと描いていましたね。

ーなるほど。ではこの『文字を絵にする』というのは、学校卒業後に再度挑戦することになったのでしょうか。
勝倉さん:2019年頃から公募に応募し始めたのですが、いろいろチャレンジしていく中で文字を絡めた作品が入選しやすいことに気がつき、それから文字をベースに用いた作品を作るようになりました。

ーご自身のできることと需要の合致点が見つかったという感じですかね。勝倉さんは2024年にエキア竹ノ塚のポスターを手がけられていますが、公募に応募したことが依頼に繋がったりしたのでしょうか。
勝倉さん:エキア竹ノ塚の件は、担当の方が私のホームページを見て声をかけてくださいました。足立区内で活動するイラストレーターを探していたら、私に行き着いたという流れのようです。制作自体は依頼者の方から具体的に指示がありそれに沿って描くという感じでしたが、ちょっと無理矢理立体文字をいれました(笑)そうしたら採用していただけまして…!とても嬉しかったです。

ーこのポスターを実際に現地で拝見し、素敵だなと感じていました。高架工事で約10年ずっと寂しい状態だった竹ノ塚駅前がようやく賑わいを取り戻すぞ!という思いがあったので、このポスターのように華やかにオープンして嬉しかったです。
勝倉さん:僕も地元民として同じ気持ちです。また電車の中吊りや駅のポスターに携わるのはずっと夢だったので、まさか地元の駅でそれが叶うなんて思ってもみなかったです。

ー今後どういった活動を続けていかれたいですか?
勝倉さん:今後もずっと文字を絡めた絵は描き続けていきたいと思っています。この作風のネーミングもずっと考えていますが「これだ!」というのがなかなか思いつかなくて。これから作品をたくさん作っていくなかで見つかるといいなあと思っています。

ーありがとうございました!

Interviewee Profile


イラストレーター
勝倉大和 カツクラヒロト

1986年生まれ 東京都足立区出身
2008年創形美術学校イラストレーション科卒業

アクリル絵の具やiPadを使い、建物、動物、食べ物、植物を融合させた、不思議でユニークな空間を描くイラストレーションを制作。子どもの頃、「字は汚いけど絵は上手いね」と言われたことがきっかけで、字の汚さをコンプレックスに感じつつも、「絵で世界で一番面白い字を描いてやろう!」と決意し、独自のスタイルを追求。大きなものを小さく、小さなものを大きく見せるなど、見る人を驚かせる世界観を大切にしている。

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